Twitter@YaUsGfcqxuo2ffx)です
けんぼう先生
今日は中学校の社会の鎌倉時代の頃のモンゴルの動きをを見ていくよ
未来けんぼう
外国?
けんぼう先生
そうそう、モンゴルと日本の動きをリンクさせていこう
未来けんぼう
はい!
鎌倉時代と海外のポイント
前回の鎌倉時代の海外の話だよ
これだけ覚えれば完璧!中学社会歴史8平安時代末期〜鎌倉時代テスト対策問題付き
鎌倉時代海外の動き・流れ
- モンゴル帝国の拡大
13世紀の初めモンゴル高原で、遊牧生活を営むモンゴル民族から出た
チンギス・ハンが、モンゴルを統一した。
チンギス・ハンの子孫たちが勢力を広げていきモンゴル帝国を作るよ - 5代目フビライ・ハン
5代目のフビライ・ハンはモンゴルを大都(北京)に移して、国号を元と定めて皇帝となるよ。
チンギス・ハンとごっちゃにならないように注意しよう
勢力を強めた元は日本に2度侵攻するが北条時宗がこれを追い払う
2度の戦いはこの後一つずつ確認していこう - 元の侵攻
元が日本に送ってきた使者を北条時宗が追い払ったことでげ元はこの後2回日本に攻めてくることになるよ - 1274年文永の役
日本が苦しんだのは元の戦い方にとても苦しんだよ
元の戦い方はどんなものかというのはテストにでとても出やすいので確認しておこう
集団戦法と優れた火器により、日本車をなやました
けれども運が良かったのが天候などの関係で元もダメージを負っていたので追い返すことができたよ - 1281年弘安の役
2回目の戦いでも奇跡的に天候に恵まれて元は上陸できないまま、暴風雨にあって、大損害を受け、退いていくよ
文永の役と弘安の役の2つを合わせて元寇というよ
ここで追い返せてハッピーエンドではなくて問題が発生
それは争いなどの際には莫大なお金が必要になるんだよ
それでお金の面で厳しくなってしまった幕府は少し弱まってしまう
元寇との戦いは日本と外国の戦いだったので勝ったところで自分の領土を守っただけなので
十分な報酬を与えることができなかったんだよ
そうなると御恩と奉公の関係が崩れ出すんだよ - 徳政令
お金が苦しくなってきたので幕府は借金を帳消しにすることができる徳政令を出す
しかしあまり効果がなかったのでここで朝廷がチャンスと思い動き出す
鎌倉幕府滅亡
- 後醍醐天皇
朝廷が幕府が弱まっているので実権を取り戻そうとして動いたのが後醍醐天皇
ただし幕府側にこの動きがバレてしまって後醍醐天皇は島流にあう
だけれどもその中でも後醍醐天皇を助けようと足利尊氏らが朝廷に無事実権を取り戻すことに成功 - 鎌倉幕府の滅亡
実権を取り戻した朝廷によって1333年に鎌倉幕府は滅亡する
国を守っても幕府側と朝廷側の戦いで結局政権は変わるんだね
この流れをしっかりと覚えておこう
中学社会歴史一問一答テスト対策問題
- モンゴル帝国の初代の王を答えよう
↓解答解説↓
答え→チンギス・ハン - モンゴル帝国の5代目の王を答えよう
↓解答解説↓
答え→フビラ・ハン - 「世界の記述」(東方見開録)という書物で日本を「黄金の国ジパング」と表現したイタリア人を答えよう
↓解答解説↓
答え→マルコポーロ - 1274年に元が日本にせめてきたことをなんというか
↓解答解説↓
答え→文永の役 - 元の戦い方はどんな特徴があったか答えよう
↓解答解説↓
答え→集団戦法と火器を使った戦い方 - この時の幕府の執権を答えよう
↓解答解説↓
答え→北条時宗 - 1281年に元が日本にせめてきたことをなんというか
↓解答解説↓
答え→弘安の役 - 二度にわたる元軍の襲来を合わせて何というか答えよう
↓解答解説↓
答え→元寇 - この戦いの後政権をとりもどすために行動し、一度は島根県の州岐(おき)に流されたが、後に幕府をほろぼした天皇を答えよう
↓解答解説↓
答え→後醍醐天皇 - 9に協力した有力な御家人でのちの幕府の将軍になる人物を答えよう
↓解答解説↓
答え→足利尊氏
鎌倉時代滅亡までのまとめ
ポイント
- 社会ではまず語句を知らなければならないのでしっかり覚える
- その語句に関連させて物事を説明できるように
- 鎌倉時代は平家と源氏の勢力争いの流れを理解しておく
- 外国との争いの後に朝廷側がうまく実権をとりに行った点
- のちの室町幕府の将軍になる足利尊氏はしっかり覚えよう